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August 30, 2007

テロ特措法、民主党の対案への提案

 かつて私は『論座』や戦旗派の機関紙『センキ』などさまざまなメディアや会合で、機会がある毎に、テロ特別措置法への対案として、連合PKOを提案してきた。

 「私はアフガニスタンのときから自衛隊の派遣には反対してきました。もしも派遣するなら憲法を改正してから行け、というのが私の主張です。国際貢献というのなら、連合PKOを作れと私は一貫して主張しているのです。
──連合PKO?  
 連合というのは労働組合の連合です。連合がPKO部隊をつくる。600万人の連合の労働組合員が、1人1万円を拠出する。また1万人に1人ぐらいの割合でボランティアを募る。そうすれば、600億円の予算を有する600人の連合PKO部隊ができます。部隊はカナダのPKO訓練センターで訓練する。連合にはいろいろな職種の人たちがいますから、自衛隊なんか太刀打ち出来ないプロフェッショナルなPKO部隊を作ることができます。そうなれば、日本人が自主的に国際貢献しているということで国際的な評価もあがるに違いない。でも残念ながら、連合からはなんの返事もございません(笑)」。
(2004年10月25日号『SENKI』1159号抜粋)

 民主党は、海上自衛隊による燃料補給支援を止め、代わりに医療や食料などアフガニスタンの復興に直接役立つような民生支援を行うことを対案として次期国会に提出するようだ。私も大賛成である。ただし、それが単なる資金支援に終わることのないよう強く求めたい。ここで再び金だけの支援をするとなると、「日本は金だけ出して人は出さない」と軽蔑された湾岸戦争当時の悪夢の再現である。当時の湾岸政策を立案した小沢党首がよもやお忘れのはずはない。
 ここは是非、民主党傘下の連合の総力を結集して、連合PKO部隊のヒト、モノ、カネによるアフガニスタンの民生支援を実施していただきたい。これこそが日本の平和憲法の実践であり、具現化である。

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August 27, 2007

温暖化対策の危うさ

 温暖化論議が喧しい。猛暑も温暖化、台風も温暖化、北極の氷が溶けるのも温暖化、砂漠化が進むのも温暖化、台風が大型化するのも温暖化、全ての天変地異は温暖化のせいだ。中には温暖化が原因でもないのに温暖化のせいにされてしまたっものもある。 東京でクマゼミが鳴くのも温暖化のせいだといわれている。しかし、これは街路樹として九州地方から楠木を大量に移植したことが原因だといわれている。楠木の根についた土とともにクマゼミの幼虫が運ばれ、都会のヒートアイランド現象もあって東京都市部を中心に繁殖をはじめたという。またキリマンジェロの雪が溶けたのは温暖化よりも、山頂に雪が降らなかったことが原因だという。
 とはいえ温暖化は間違いない現象なのだろう。では温暖化が進むと何が問題なのだろうか。世界の都市部が水没するという。しかし、そもそも埋め立て地に都市を作ることのほうがまちがいではないだろうか。縄文時代には関東でも相当内陸部まで海だったのだ。あるいは農業に大きな被害が出る。みかんが青森あたりでもとれるようになり、リンゴは北海道の北のほうでないと栽培できなくなる。コシヒカリの産地は北海道の内陸あたりに北上する。たしかにその通りだろう。
 しかし、それがなぜ悪いのか。小生が小学生の頃、東北地方はヤマセという冷たい風で冷害になることがあり、人々が困っているという話しをよく聞かされた。少なくとも東北地方が温暖化すれば、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という状況はなくなるだろう。さらに南では二期作もできる。もっとも米余りの今とっては必要ないが。だから昔は寒冷化するよりも温暖化するほうがよいことのように考えられていた。80年代の半ばまで皆が心配していたのは温暖化ではなく、寒冷化だった。
 温暖化の究極の原因は人間の社会活動や経済活動にある。つまり人間そのものが温暖化の究極の原因なのである。であるが故に、いずれは過剰人口が温暖化の原因という議論が出てくるだろう。そのとき温暖化対策のために人類が間引かれるのだろうか。温暖化対策の危うさが、そこにある。

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戦争の八月

 戦争の八月が終わろうとしている。毎年八月になると第二次世界大戦を回顧するテレビ番組や記事、本が溢れるほどに世に出てくる。奇妙なことに、あの戦争から時が経てば経つほどまるで戦争を懐かしむかのように、繰り返し過去の戦争が語られる。毎年毎年戦争回顧が繰り返されるのは日本だけの現象ではないか。少なくともアメリカで第二次世界大戦を懐かしむようなテレビ番組、新聞、雑誌記事や書籍が毎年、毎年世に出てくることはない。日本人にとって第二次世界大戦は、NHKの「その時歴史が動いた」で繰り返し取り上げられる戦国時代の合戦と同じ歴史物語になってしまったのではないか。
 それにしても、なぜこれほどまでに過去の戦争に日本人は拘泥するのか。平和を考えるために戦争の歴史を学ぶことは必要不可欠だとでもいうのだろうか。仮にそうであったとしても、二十一世紀の戦争を考える上で果たして第二次世界大戦が参考になるのだろうか。人類の戦争の歴史は、農業時代の戦争、工業時代の戦争そして現在の情報時代の戦争と産業構造によって戦争の形態は異なり、違う時代の戦争は全く参考にならない。
 いや、戦争には時代を超えた戦争の本質があり、だからこそ孫子の兵法も通用するのだとの反論が聞こえそうだ。それもまた大いなる誤解だ。戦争に合わせて孫子の兵法を都合よく解釈しているにすぎない。だから孫子の兵法は融通無下に解釈され、今日まで古典として生き延びたのである。ある意味「聖書」と同じである。
 国家は直近の戦争を戦うといわれる。明治日本の最後の戦争は戦国時代の合戦であった。だからこそ明治になって武士でもない兵士の教育のために合戦の教訓として武士道が喧伝されたのである。では現代日本の直近の戦争はといえば、第二次世界大戦である。同戦争が最後の戦争である先進国は日本だけだ。NATO諸国はアフガニスタン戦争、中国は中越戦争、ロシアはアフガニスタン戦争など、第2次世界大戦はこれらの国々とって完全に戦史の範疇である。だから日本だけが八月になると直近の戦争である第2次世界大戦を振り返り、先祖の戦いを懐かしむのだろう。
 しかし、間違っても第二次世界大戦を教訓に情報時代の戦争や平和を考えてはいけない。上記したように時代が異なる戦争は戦争といっても全く異なるからである。にもかかわらず八月になると日本では過去の戦争から教訓を得て、平和への誓いを新たにする。戦国時代の合戦を教訓に国際平和への誓いを新たにすべきだというのと同じほどに、第二次世界大戦を教訓に平和を誓うというのは奇妙であり、間違っている。
 戦史家そして平和研究者はなおのこと、過去の戦争を学ぶだけでなく、是非現在の「新しい戦争」について学ぶべきだろう。その上で歴史上の戦争である第2次世界大戦以前の日本の戦争について語ってほしい。
 蛇足ながら憲法9条が想定しいる戦争も国家対国家の工業時代の古典的な戦争であり、情報時代の非国家主体間の紛争については全く想定していない。護憲派も改正派も、まずは21世紀の新しい戦争について学んでから議論すべきではないか。

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August 08, 2007

日本平和学会の偽善

日本平和学会が、日本学術会議に日本国籍差別条項の撤廃を申し入れている(『朝日新聞』2007年8月8日、東京第14版25面)。しかし、これはダブルスタンダードではないか。日本平和学会は一貫して、職業差別条項を掲げているからである。
 ことの発端は日本平和学会が04年12月に神戸大学のロニー・アレキサンダー教授を日本学術会議のの会員に推薦したところ、「会員は日本国籍を有する者に限る」として推薦の取り下げを求められたことにある。
 学術会議の理由は「国家の意志形成にかかわるため、日本国籍が必要」との説明である。これに対し平和学会は「学術会議法や会則に規定がないこと」、「日本の研究活動には多くの外国人研究者が携わっていること」を理由にあげ、外国人にも同会議への門戸を開くよう運動をすすめるという。
 平和学会には、省みて自らの会則に職業差別条項があることを考えてほしい。
「第4条 ・・・・ただし、本会の研究成果が戦争目的に利用されるおそれのある機関あるいは団体に属するものは原則として入会できない」。
 国籍差別条項を設ける学術会議も旧い体質だと思うが、それを非難する日本平和学会は偽善的だと思うが、どうだろうか。
 なおこの問題については、「日本平和学会の差別主義を質す」(2007年4月8日)

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August 03, 2007

テロ特措法期限延長反対

 アフガニスタンテロ対策特別措置法の期限が11月1日で切れる。期限延長をめぐって自民党と民主党との対立が鮮明になりつつある。この問題に限って言えば、期限延長への支持を取り付けたい駐日シーファー米国大使の面会を断った小澤一郎に軍配を挙げたい。それは二つの理由からである。
 第1、そもそも特別措置法は集団的自衛権の政府解釈に抵触している。本来なら政府解釈を変更するか、さもなくば憲法を改正してから立法化すべき法律であった。それを「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」と言わんばかりに政府解釈をねじ曲げてまで、立法化したことは基本的に間違っている。改むるに憚ること勿れ。
 第2は、そもそも無理をしてまで特措法をつくったのは、アメリカの対テロ戦争への協力通じて日米同盟を維持、強化するためであった。テロ特措法の成立時は9.11直後でNATO諸国も初めての集団的自衛権を行使するなど、米国の対テロ戦争支援で国際世論は沸き上がっていた。日本だけが傍観者となるわけにはいかないという切羽詰まった事情があった。また、その後の北朝鮮の核問題をめぐって、核の傘の信頼性を高めるには日米同盟が必要不可欠だと大方の者が信じた。
 しかし、そのような対米配慮はもはや無用だ。いくら協力しても、少なくとも日本の海上自衛隊による協力は、対テロ戦争にはほとんど役に立たない。必要なのはアフガニスタンの治安回復である。インド洋にタリバンもアルカイダも出没しない。万万が一彼らが海上に現れたとしても海上自衛隊は、自衛以外に彼らを攻撃することができない。これ以上無料洋上ガソリン・スタンドはやめたほうがよい。
 そもそも米国の対テロ戦争はアフガニスタン、イラクで大失敗をしている。失敗した作戦を支援するのは、失敗にさらに輪をかけるようなもので、ここは米軍もNATO軍も含め、一旦アフガニスタン、イラクから全軍撤退すべきだ。三十六計逃げるに如かず。
 次に北朝鮮の核問題で、日本は今や米国から梯子を外され、外交的には宙ぶらりんの状況になっている。ブッシュ政権は、なんとしてでも北朝鮮と平和条約を結んで残された任期中に南北平和を実現した大統領として歴史に名を残したいのだろう。もはや拉致問題や北の核脅威など全く埒の他だ。さらに北朝鮮の核を抑止するはずのアメリカの核の傘はもはや開かない。これについては五月九日の「核の傘は開かない」をご覧いただきたい。日本の対北外交でアメリカは日本の同盟国といようりも北朝鮮の同盟国に成り果てた。
 さらに日米安保条約がもはや同床異夢の条約になっていることは、七月三〇日にいわゆる「慰安婦問題」で日本の首相に公式謝罪を求める反日決議が米下院本会議で可決されたことで明らかだ。マイク・モチヅキは「米国の政治指導者層が友人として日本にメッセージを送っている。反日決議ではない」という。ならば、日本はテロ特措法の期限延長に反対して、「友人としてアメリカにメッセージ」を送ろう。アメリカの対テロ戦争の戦い方は間違っている、と。

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地方の叛乱

 今回の参議院選挙の特徴は一言で言えば、地方の叛乱だ。一人区で自民党が大敗したことでそれは明らかだ。自民党は土着の政党で、民主党が労働組合を中心にした都会型の政党だという印象を抱いていた人が多いのではないか。しかし、よく考えてみれば、民主党の大半は旧自民党の出身だ。岩手出身の小沢一郎はまさに地方を地盤とする旧自民党の体質を色濃く受け継いだ政治家である。他方現在の改革路線を推進した小泉純一郎は横須賀を選挙区とする都会派政治家だ。小泉の改革路線を引き継いだ以上、山口を選挙区とする安倍晋三も本質的には都会派である。今回の参議院選挙はこうして地方・反改革派対都会・改革派の一騎討ちとなった。そして反改革・抵抗派が勝利した。地方が都会に勝利したのだ。
 地方対都会の対立は単なる格差問題に矮小化された観がある。格差改称のための公共事業に代わる地方発展の起爆剤は何か。それは、税金の地方への分配の問題なのか、それとも産業育成の問題なのか。、農業への補助金問題なのか、いずれにせよ、今回の選挙ではそうした政策がとわれることがあまりなかった。
 実際、今回の選挙ほど政策が争点にならなかった選挙も珍しいのではないか。松岡農水大臣の自殺、久間防衛庁長官の失言、赤城農水大臣の事務所経費ごまかし、そして年金問題など選挙で話題になったのは全て自民党の失策,いわばオウンゴールだ。民主党をはじめ野党は政策らしい政策は全くといっていいほど明らかにしなかった。あれほど声高に叫ばれていたマニフェストは一体どこにいったのか。結局、小澤一郎の魂胆は地方を焚きつけて地方の叛乱を起こし、政策よりも政局つまり自民党を総選挙に追い詰めて政権を奪取することにあった。安倍はマンマと小澤の術中にはまったようだ。

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