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November 29, 2007

日米同盟の破綻

 田原総一郎が(2007年11月17日『朝日』朝刊)で「圧力一辺倒ではなく、交渉に転換する時期」と主張している。今なぜ経済制裁を解除してまで北朝鮮との交渉をしなければならないのか。田原だけではない。最近ますます経済制裁解除の声が高まっている。今解除すれば、それは北朝鮮側の交渉ペースに乗るだけではないのか。
 一旦経済制裁をかければ5年10年は、制裁の継続を覚悟しなければならない。そもそも当のアメリカが1988年以来足かけ20年にわたって北朝鮮をテロ支援国家に指定し、さまざまな金融制裁を科してきたのだ。そのアメリカを見習えば、日本がたかだか1年程で解除するというのであれば、そもそも経済制裁など科す必要もなかったのだ。
 それにしても、韓国はもちろんアメリカも中国もまるで金王朝に朝貢外交でもするように平壌詣でを繰り返している。金正日の狙い通りだ。一旦核兵器保有国になれば、あれほどテロ支援国家だ人権抑圧国家だと非難していた米国も宥和政策をとらざるをえない。イランも、米国の足元を見透かしたように着々とウランの濃縮を進めている。イランにとっての最大の脅威は米国ではなく、イスラエルの奇襲攻撃だろう。下手をすれば1981年6月のイラクのオシラク原子炉爆撃や今年(2007年)9月のシリアの原子炉のようにイスラエル軍機の予防爆撃をうけるかもしれない。
 米国は、早晩北朝鮮をテロ支援国家リストから外し休戦協定を平和協定にする方針らしい。このことは、日米同盟の根幹を揺るがす問題である。冷戦後の日米同盟が見直しを迫られたのは、1994年の朝鮮半島核危機だった。この時に日米間の軍事連携がほとんどできないということが明らかになり、その後日本は2000年に周辺事態法、2004年に国民保護法を制定し、他方で米軍の対テロ戦争に協力し、自衛隊と米軍との連携を強化してきたのだ。日米同盟の前提が崩れた以上、日米同盟の見直しは避けられない。敵の敵は味方だが、敵の味方は敵だ。
 また拉致問題が解決せず、赤軍派の処分もないままにテロ国家指定から北朝鮮を外すことは、米国が対テロ戦争から離脱することを意味する。日本が補給艦をインド洋から引き揚げたことを米国政府は怒っているようだが、それならば、北朝鮮との対テロ戦争から離脱すべきではないだろう。あまりに米国政府のダブル・スタンダードで身勝手に過ぎる。
 たしかに日米同盟は単に朝鮮半島有事のためだけではないという主張もあるだろう。それを受け入れたとして、少なくとも北朝鮮のミサイルを標的にしているミサイル防衛はもはや無用の長物だ。なぜなら、万一北朝鮮が日本にミサイルを撃ったとして、はたして平和協定を締結しているであろう北朝鮮に対して米国がミサイル防衛のための情報を日本に提供してくれだろうか。米国にとって日本を犠牲にしてでも核兵器保有国である北朝鮮と干戈を交えることは避けたいだろう。加えて日米同盟の根幹となっている核の傘は、以前にブログで書いたように、もはや開かない。
 そもそも日本にとって日米同盟の意義は、周辺地域における有事の際に米軍に支援してもらことにあった。それがいずれは北朝鮮と平和協定を結び、またCSISのアーミテージ/ナイ・リポートにあるようにスマート・パワー戦略で中国との関係を強化していくことになれば、日本にとって日米同盟を維持する環境は全くない。
 日米同盟は漂流したのでも、危機的状況なのでもない。まさに同床異夢、家庭内離婚の破綻状況だ。

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自衛隊よりオヤジ義勇兵の派遣を

自衛隊よりオヤジ義勇兵の派遣を
 昨日(2007年11月28日)に『産経新聞』一面に外交評論家の岡本行夫氏の「インド洋に補給艦戻せ」と題する長文の特別寄稿が掲載された。岡本氏といえば、湾岸戦争当時外務省の北米第1課長として対米交渉の最前線に立っていた人だ。湾岸戦争は日本外交の大敗北であったが、かれはその責任をとるかのように湾岸戦争直後外務省を去っている。その岡本氏が、今再び日本外交が湾岸戦争の時の日本外交の徹を史、失敗を繰り替えそうとしているとして警鐘を乱打する論文を『産経新聞』に寄せたのだ。彼の憂国の情には旨打たれるものがある。
 とはいえそれほどまでに憂国の志士であるなら、奇矯にきこえるかもしれないが、自衛隊ではなく自らがボランティア(それこそまさに義勇兵だが)を率いて、アフガニスタン復興の先頭にたってはどうか。
 岡本氏は「新現役ネット」という退職後のオヤジたちを束ねて、「社会的に意義ある活動を可能としていく仲間ネットワーク」をつくっている。是非、自衛隊員に代えて、「新現役ネット」に集まっている主に団塊世代のオヤジ達を非武装「義勇兵」としてアフガニスタンに引き連れて行ってはどうか。
 民生活動には自衛隊員よりも「これまで培ってきた経験や知識・技術を、少しでも社会に役立てられないかと考えている方々」(「新現役ネットの紹介」より)を派遣したほうがはるかにアフガニスタンの復興には役に立つ。すでに退職自衛官がその知識と経験をいかして、アフガニスタンやカンボジアでの地雷処理のボランティアを行っている。
 学生時代ゲバ棒を振るい、投石をし、警官と衝突を繰り返した団塊世代のオヤジたちがいまさら命が惜しいなどとはいわないだろう。死ぬ前に、団塊世代の意地を見せて、少しは社会の役に立つことをして死出の花道を飾ってはどうか。
 団塊世代のオヤジたちが数百人、数千人と犠牲を省みず、アフガニスタン復興に取り組む姿を世界に示せば、補給艦の派遣よりもはるかに世界にインパクトを与えるだろう。万一命を失うことがあっても平和憲法を守れと主張してきた新左翼オヤジも憲法9条のためなら命を捨てることになんのためらいがあろうか。岡本氏よ、そして団塊世代のオヤジたちよ、憲法9条の旗を掲げて、アフガニスタンに義勇兵として行こう。オヤジ・フォークやオヤジ・ロックに酔っている時ではない。私も行く。

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November 07, 2007

民主党の倫理的退廃

 民主党の茶番劇が終わった。小沢一郎の茶番劇に紛れて、民主党はこっそりとテロ特別措置法への対案を発表した。小沢問題よりも、むしろ対案の方がより深刻な問題ではないだろうか。というのも、民主答案はまるで対案になっておらず、民主党の政策立案能力の無さが暴露されたからである。こっそりと出したのは、無能ぶりを隠すためだったのかと言いたいくらいだ。小沢問題は単に党内問題で民主党の指導力の無さを露呈するだけだが、政策立案能力の無さは政党としては致命的であり、国民への影響は甚大だ。
 対案の骨子案(『産経新聞』11月7日朝刊)の冒頭に、信じられないような一文がある。「自衛官を含む専門家を文民として派遣」。「自衛官を文民として」というのは具体的にどういうことなのか。自衛官に一時的に制服を脱がせて事務官にするのか、それとも自衛隊を退職させて事務官として再雇用するのか。いずれにせよ、自衛隊法の縛りのかかる自衛隊員であることには変わりはない。自衛隊員であるかぎり海外への隊員の組織的派遣は憲法違反ではないのか。それとも自衛隊を退職させて一民間人として派遣するのか。湾岸戦争の時にも同じ問題が議論されたが、いつも自衛官をまるで政治家が命令すれば唯々諾々としたがう奴隷のごとく扱う民主党政策立案者の自衛官差別の人権無視には驚くばかりだ。自衛官にも職業選択の自由はある。
 文民として自衛官を派遣するのなら、そもそも自衛官である必要はどこにもない。自衛官よりも建設、土木、医療に習熟した文民は、それこそ連合傘下の労働組合にいくらでもいるではないか。まず、自治労をはじめ傘下の労働組合に呼びかけてはどうか。民主党が本当にアフガニスタン国民のことを考えるのであれば、自衛官を派遣することはない。心ある人材は660万人もの人材を擁する連合には掃いて捨てるほどいるだろう。
 また民主党の対案には「活動はPRT活動をはじめとする民生部門に限定」とある。ちなみにPRT活動は民生活動を実施するNGOと、そのNGOの安全を守るための軍隊の協働行動から成り立つ。元自衛官の文民が民生部隊を編成して、他国の軍隊の警護を受けながら民生活動をせよとでもいうのだろうか。一体どこの軍隊が自衛官という軍人の民生活動を警護したいと思うだろうか。反対に他国の軍隊に警護されながら土木建設、道路建設、医療などにあたる文民「自衛官」は自衛官としての矜持を保つことができるのだろうか。軍人同士が交流するということは、どのような活動であれ、個々の軍人の能力、力量を元に軍隊全体の能力を推し量り、そのことで強い軍隊との評価が定まれば、軍隊を派遣した国の抑止力の源泉となるのでてある。PRTへの文民自衛官の派遣は、日本の自衛隊への評価、そして日本の抑止力にも影響する問題である。
 最後に何よりも民主党案で問題なのは、安全が確保された地域にしか派遣しないという点である。他の国が軍人を派遣して命をかけてアフガニスタンの復興にあたっている時に、日本人は犠牲がいやだから完全に安全が確保されてから行きますというのは倫理的退廃以外のなにものでもない。またアフガニスタンの歴史を振り返れば、未来永劫民主党が期待しているような安全な状況はアフガニスタンに生まれないであろう。仮に生まれたとして、そんな時に援助してもアフガニスタンにどれほど貢献できるのだろうか。アフガニスタンにとっての喫緊の課題は全土に広がる干ばつである。干ばつの被害を食い止めるには、安全であろうがなかろうが今こそ援助が必要なのである。そのために各国が協力しているのではないか。
 民主党の対案は単に自民党に対案を出せといわれて付け焼き刃的に出したにすぎない。何よりも問題なのは、アフガニスタン国民のためといいながら、アフガニスタン国民のことなど全く眼中になく、党利党略を優先する民主党の倫理的退廃にある。その倫理的退廃は、党を挙げての小沢一郎の辞任撤回要請に如実に現れている。民主党は政党としての矜持を持つべきだろう。

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November 06, 2007

今こそ日米同盟の再考を

 小沢問題で国内政治が揺れに揺れている。これは元をたどれば、日米同盟のあり方をめぐる対立の結果に他ならない。今後とも対米協力を日本の国家戦略の最優先課題とするのか、あるいは国連にも軸足を置いたより独自の外交政策を選択するのか。ことは大連立か、政権奪取かといった矮小な国内政治問題ではない。
 しかし、自民党はなぜこれほどまでに対米追随外交を追い求めるのか。ここ半年の米国の外交を見てみればよい。どれほど反日的な外交を展開してきたか。自民党こそ真っ先に米国にもの申すべき立場にあるはずだ。
 まずは米国下院での慰安婦決議採択。日本政府の意向を無視して簡単に採択されてしまった。ところがその後、100年前のトルコによるアルメニア人虐殺をめぐって下院が同様の決議を採択しようとしたところ、トルコ政府の猛反発を浴びて、結局採択は見送られた。大統領をはじめライス国務長官まで決議が採択されないよう議会や議員に圧力をかけたのだ。なぜならトルコは対イラク戦争で米国にとって必要不可欠な同盟国だからだ。だとすると、日本はトルコほどの重要性もない国家だということではないか。
 実際、北朝鮮に対する融和政策をみれば、日本がもはや米国にとって冷戦時代ほどの重要性を持っていないことは明らかだ。今日から北朝鮮の核無能力化作業が始まったらしいが、それは事実上北を核保有国として承認するものであり、核の完全放棄にはほど遠い内容だ。米国としては一刻も早く北と平和条約を締結して北朝鮮への影響力を確保して、中国との戦略的均衡をとりたいのだろう。日米同盟など弊履を捨つるがごとしである。
 米国の日米同盟を無視した戦略的大転換があった以上、日本も独自の国家戦略を考えるべきだ。
 即刻MD開発は止めるべきだ。北朝鮮がいずれは米国と平和条約を結んで友好関係に入るのなら、MDなど無用の長物だ。仮に北朝鮮が日本を核攻撃しても米国の核の傘は以前にも書いたがもはや開かない。また米国が通常兵器でも友好国北朝鮮を攻撃することもないだろう。MDは米国の支援なくしては作動しない兵器システムだ。はたして万一の時に米国はMDに必要な偵察情報をくれるだろうか。実際米国は、給油を止めた途端に、イラクで空輸活動に従事している航空自衛隊に情報提供をしなくなったという。日本がとるべき道は北同様に核保有国になり、核抑止体制を構築することだ。
 また対テロ戦争を理由とした米国への給油活動はすべきではない。対テロ戦争の一貫であるテロ国家北朝鮮との戦いから真っ先に離脱したのはアメリカではないか。アフガニスタンでの対テロ戦争への協力を日本に求めるのなら、まずは北朝鮮に対する宥和政策を転換するのが筋ではないか。この点で福田自民党の対米追随外交よりも小沢民主党の国連中心外交のほうが国家戦略としては真っ当だ。
 日米同盟は今や危機に瀕している。ただし、その原因を作ったのは全て米国である。いまさら米国に追随するようなまねはせず、日米同盟をより自立的な同盟へと変えるよう、新たな国家戦略を構築すべきときだ。小沢民主党は初心を忘れず、対米独立の気概をもって、対米追随の自民党と対決すべきだ。

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