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April 11, 2008

虐殺地巡礼-その1-

翌日、タクシーを雇って、ニャンザ(Nyanza)のメモリアル・サイトとムランビ(Murambi)のメモリアル・センターに行く。
午前8時にホテルを出発。タクシーがキガリ郊外の幹線道路沿いにあるガソリン・スタンドで給油した。値段はリッター約150円と日本と同じか日本より少し高い。ちなみにケニアも約150円程度、ウガンダは約250円していた。計算のまちがいは無いと思う。ガソリンの値段が高いのは、一つには輸送費だと思う。ルワンダもウガンダも内陸国で、基本的にはタンクローリーの陸上輸送に頼っている。ケニアからウガンダに通ずる幹線道路を走る車の半分はタンクローリという印象だ。
 キガリからニャンザ、ムランビに南下する幹線道路は最近整備されたばかりと思われる立派な道路だった。EUの看板があちこちに出ていたから、EUの支援なのだろう。悪路を予想していたら全く違った。また車窓に流れる風景も、地元の人をみかけなければ、日本の南九州の県道をドライブしているような錯覚に陥る。緑に覆われた丘が連なり、車窓から入る風は心地よい。あらためてなぜこのようにめぐまれた自然環境の中で虐殺が起きたのか、不思議な思いが拭えなかった。
 ルワンダの地図を見ると、他の国の地図とは異なる点がある。それは教会の印が付してあること、そしてその数が多いことだ。実際にルワンダをを走ってみると、その実態がよく分かった。丘の上には必ずといってよいほど教会がたっている。またどんなちいさな村にも教会がある。ヨーロッパ諸国がアフリカを植民地化するということは、まさにキリスト教化していくこであったというのがよくわかる。カトリック57%、プロテスタント26%(日本外務省ホームページ)で国民の9割以上がキリスト教徒だ。他に4.6%のイスラム教徒がいる。キガリ市内にはモスクがある。本的にはキリスト教文明の道徳、倫理観が根幹になっているからか、私にはイスラム世界よりも違和感はなかった。
 キガリから2時間ほど走ったところで幹線道路を外れ、小さな村の中に入っていく。その先には大きな広場と、サッカー場なのかスタンドがついた運動場、そしてその一角に何の変哲も平屋の建物があった。だれも居ず、鍵がかけられていた。タクシーの運転手が、広場でトラックの運転の練習していた十数人の公務員のグループのひとりに訊くと、建物の裏手がニャンザのメモリアル・サイトだという。虐殺メモリアル・センターのホームページの写真には十字架が多数立てられた写真が掲載されている。しかし、現実は写真とは全く異なる。念を押して確認したが、やはりそうだという。建物は鍵がかけられ、窓はカーテンで覆われていたために外から中をうかがうことはできなかった。建物の裏手にまわると、キガリ・メモリアル・センターの集団埋葬墓地より二回りも大きい約5メートル×10メートルほどの一角全体がコンクリートの蓋で覆われていた(写真)。ここに多数の犠牲者が集団埋葬されている。
 ニャンザを後にして、ムランビのメモリアル・センターに向かってタクシーを走らせる。
ブタレという比較的大きな町の手前で右折し、西に向けて30分程走る。タクシーは幹線道路を外れて、谷に向かう未舗装の山道を下っていく。山道から見渡す風景は、日本の山並みを思い出させてくれる。およそ5分ほど走ると谷底に開けた平地に出る。そこにムランビ・メモリアル・センターがあった。
 ムランビ・メモリアル・センターと書かれた門(写真)を入り、200メートルほど行くとメモリアル・センターの建物があった(写真)。閑散としていて、職員と思しき人が3~4人建物の前で所在なげにたたずんでいた。ここもニャンザ同様に閉鎖中なのかと思ったら、白人の男性訪問客二人連れが建物から出てきたので、開館していることはわかった。タクシーの運転手に事情を尋ねてもらうと、建物の展示はまだ整備されていないが、安置してある遺体を見せるというので、職員の案内にしたがった。
 本館の裏手には元は小学校の教室だったという平屋の建物が7~8棟たっていた。一棟には20人くらいが入れる教室があり10ほどあった。職員が鍵を取り出して、教室のドアを開けると、異様な匂いとともに、台の上に横たわる数多くの遺体が目に飛び込んできた。遺体は全て白く防腐処理がされ、ミイラ化している。明らかにナタか棍棒か、鈍器で割られたと思われる頭蓋骨があった。写真をとっていいかときくと、ノープロブラムという。とはいえ一枚一枚丁寧に写真をとる心の余裕は全くなかった。ひたすらシャッターを押し、ビデオを回した。決して興味本位で写真をとっていたわけでないことだけは付け加えておく。この悲惨な様子は、多くの人が知るべきと思い、あえて公開する(写真)。
 最初の一棟だけで十分と思ったが、職員の人が熱心で全ての教室を案内してくれた。中には頭蓋骨ばかりか安置された部屋や子どもの遺体を集めた部屋もあった。頭蓋骨の多くには大きな穴があいていた。また集会場のような建物には、犠牲者が身に着けていた衣服が数多く保存されていた。まるでアウシュビッツのような情景だ。
 遺体を防腐処理して保存していることには本当に驚いた。いずれは、きちんと展示するという。空調もなにもない、ただ窓を黒いビニールのゴミ袋で塞いだだけの教室に、数百にものぼる遺体が安置されているとはおもいもよらなかった。カンボジアのキリング・フィールドを思い起こさせる情景だった。ただ、遺骨が展示してあったキリング・フィールド異なるのは、遺体が発する異臭だ。このニオイこそが彼らが犠牲者であることを強烈に思い知らせてくれる。
 本館の建物に帰ると、感想ノートが置かれてあった。驚いたことに、ルワンダのこの辺鄙な場所に、二日に一度の頻度で日本人が訪れていることだった。日本人も含め平均すれば一日に平均10人は訪れているだろうか。ルワンダに来ること自体なかなか困難と思われるのに、さらにキガリから3時間以上も離れたムランビまで足を運ぶのは本当に大変なことだ。日本人バックパッカーのバイタリティーに少し感心した。キガリ市内でも、明らかに日本人と思しき若いバックパッカーを二人みかけた。
 ちなみにキガリからムランビまでは乗合バスを使うかタクシーを雇う以外に交通手段はない。キガリ市内のバス・センターでギコンゴーロ行きに乗り、ギコンゴーロからは地元のバイク・タクシーか自転車タクシーを乗り継ぐ。ただし、ギコンゴーロ行きのバスがすぐに見つかるどうか、また見つかっても満員になるまでは出発しないので時間がなかなか読めない。時間に余裕があれば、安上がりなバスを使うのが最善の手段だ。タクシーについては運転手と料金の交渉をするしかない。私の場合は時間と安全を考慮して、後から考えるといささか法外と思われる料金を払って、二日に渡ってタクシーを借り上げ、虐殺の跡を巡礼した。

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Comments

加藤先生、お久しぶりです。
先生のブログ拝見しました。
ぼくなんぞには難しすぎるところもありますが・・・
虐殺や戦争も紛争も、すべて人間の歴史。
目を背けるべきではないということだけは、ぼくでも分かります。
歴史を教訓にしていけなければ、都合の悪い歴史から目を背けるだけならば、ぼくは歴史学の存在意義さえなくなると思っています。
これからもブログの更新を楽しみにしております。

Posted by: GO | April 19, 2008 at 05:30 PM

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