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June 17, 2010

我が青春 高橋真梨子

今日(2010年6月16日)NHKのソングス「高橋真梨子」を、ゼミ学生から誕生日プレゼントされたサントリーの「山崎」をロックで飲みながら聴いた。
 高橋真梨子を知ったのは、今から37年前の1972年のことだ(った思う)。ペドロ・アンド・カプリシアスのボーカル前野曜子に代わって二代目ボーカルになったのが高橋真梨子だった。当時私は、今は無きホテル・ニュージャパンの地下にあったニュー・ラテン・クウォーター(プロレスラー力道山が刺殺されたラテン・クウォーターがホテル・ニュー・ジャンパンに場所を移して開業していた。そのニュー・ジャンパンも1982年に火災を起こし、今は取り壊されてプルーデンシャル・ビルになっている)でショーの裏方をしていた。五人組(だと思う)のバンド、ロス・フランミンゴスと交代でペドロ・アンド・カプリシアスが出演していた。生で彼女の歌声を何度かステージの裏から聴いた覚えがある。
高橋真梨子の歌が好きというより、彼女の歌声は私の青春そのものだ。彼女の歌を聴くたびに、彼女の「フレンズ」の出だし「煌めいてた そして 戸惑う青春だった」を思い出す。大学よりもバイト先の夜の赤坂に入り浸っていた。そして仕事帰りのホステスで混み合う最終の丸の内線で新中野の四畳半の下宿に帰る毎日だった。一体、将来どうなるのだろうか、不安と希望の入り交じった青春は、前野曜子から高橋真梨子に歌い次がれた「別れの朝」、「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリー」とともに過ぎていった。
そして還暦を目前にした今、桂枝雀の落語とともに高橋真梨子の歌は旅先での愛聴歌となった。ルワンダの首都キガリで聴いた「あなたの空を翔びたい」。イスラエルのガザ近くのアシュケロンのホテルのベッドで聴いた「ハート&ハード〜時には強く時には優しく〜」。スリランカ内戦で解放されたばかりの街トリンコマリーのホテルで聴いた「桃色吐息」。マレーシアのサンダカンからフィリピンのサンボアンガ行きのフェリーの、ゴキブリの這いずり回る、冷房の壊れた、うだるような個室で聴いた「別れの朝」。アブガニスタンのカブールで自爆テロで閉じ込められたホテルで聴いた「五番街のマリー」。今、高橋真梨子の歌は青春の思い出よりも、訪れた紛争地の思い出とともにある。
願わくば、人生最後の瞬間に聴く歌は「別れの朝」でありたい。

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June 15, 2010

憲法9条部隊に対する立ち位置

 憲法9条部隊について『朝日新聞』に掲載されたおかげで、何件か問い合わせがあった。中には、いささか早とちりされた方もいるようなので、以前に書いたブログの一部を抜粋することで、あらためて私の立ち位置を確認しておきたい。
「私はいわゆる護憲派ではない。地域紛争や「新しい戦争」など冷戦後の安全保障環境には必ずしもそぐわない憲法9条を改正し、自衛隊を軍隊と認め集団的自 衛権の政府解釈も変更し、自衛隊を国連PKOや国際警察活動や国際治安維持活動に積極的に参加させるべきだと考える改憲派である。
 にもかかわらず、現時点では改憲ではなく、次善の策として護憲による国際協力を主張せざるを得ない。後に詳述するが、その理由は二つある。
 第1に、政権交代 という国内政治情勢の変化、平和憲法に対する国内外の肯定的世論などを考慮すると、憲法9条改正はもちろん集団的自衛権に関する政府解釈の変更もここ当分 難しいと考えられるからだ。
 これよりももっと重要な第2の理由がある。それは日本の平和憲法が日本にとって最も強力なソフトパワーの一つになったことである。自衛隊というハードパワーが国際社会で使えない以上、代わりのパワーを考えざるを得ない。これまでは軍事力に代えて経済力をハードパワーと して用いてきた。しかし、その経済力にも翳りが出てきた。そこで経済力の補完、代替として平和憲法がソフトパワーとして重要性が増してきたのである。
  しかし、平和憲法を軍事力や経済力のハードパワーを補うに足るソフトパワーとするには平和の実践が必要となる。それは護憲派がこれまで行ってきたよう憲法 9条を護れと政府に向けて叫ぶことではない。『9条を輸出せよ』(吉岡達也、大月書店、2008年)と護憲派が主張するように世界に日本の平和憲法を輸出しなければならない。平和憲法の輸出とは単に憲法の前文や9条を世界に「布教」、「伝道」することではない。具体的には非暴力による、自衛隊に頼らない、 軍事力に依拠しない国際協力の実践である。それが実現できてはじめて、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とある憲法前文の「名誉ある地位」を日本が占めることができる」。
私の立ち位置は、上述のように非暴力・無抵抗主義のダチョウ派でもなければ、非武装・抵抗主義のハト派でもない。時には暴力も戦争もやむを得ないとの正戦を信奉するフクロウ派である。フクロウ派とはいえ、否、功利主義的に熟慮するフクロウ派だからこそ現在日本を取り巻く内外の安全保障環境を功利主義的に判断すれば、自衛隊による国際貢献活動よりも民間の「憲法9条部隊」による国際貢献活動の方がより効率的、有効であり、また日本外交にとっても利するところ大と信ずる。
現在日本のPKO活動では自衛隊は戦闘地域には参加しないことが原則である。非戦闘地域(戦闘はないが治安が著しく悪い紛争地域という意味。平和地域ということではない)なら自衛隊が行く必要はない。NGOで十分だ。問題は、だからといって、ほとんどの日本のNGOは紛争地域で活動しないということにある。イラク・サマーワへの自衛隊派遣に反対するNGO関係者は多かった。しかし、サマーワで協力活動を展開したNGOはなかった。今もイラクの治安悪化地域で活動しているNGOはほとんどない。またアフガニスタンやミンダナオ島のようないわゆる紛争地で活動している日本のNGOもまれだ。自衛隊のPKO活動には反対、しかし、自分たちも紛争地には危険で行かないというのでは、国際協力を必要としている側からみれば、日本のNGOは支援活動の阻害要因でしかない。日本のNGOもせめて他国同様にたとえ紛争地であろうとも支援活動を実施すべきではないか。
 今年(2010年)2月にカブールで自爆テロに遭遇したが、犠牲者にはインド人医師が数人混じっていた。否、むしろ彼らを標的に自爆テロが実行されたと言われている。彼らは、インド政府の支援でカブールに建設された病院の医師だった。私が宿泊していたホテルにはNGO関係者なのか、企業人なのかわからないが、インド人らしき人も多かった。アメリカ、イギリスなど他の国のNGO関係者もアフガニスタンでは珍しくない。
またつい最近イスラエルにより封鎖されているガザに支援物資を届けるためにNGOが仕立てた支援船がイスラエル海軍によりだ捕され、死傷者がでる事件が起こった。その中に日本人はいなかった。こうした活動こそ非武装、非暴力を理念とする日本のNGOが率先してすべき運動ではないのか。
 「憲法9条の会」をはじめ護憲派の人々は、自衛隊を派遣せず、また軍隊を派遣しないこと平和に繋がると考えているようだ。一方、改憲派の多数は、国際貢献には自衛隊の派遣が必要であり、また治安回復には軍隊が必要だと信じている。両者とも日本が最後に戦った第2次世界大戦の「古い戦争」を前提にしているために、どちらも半分の真実しか言い当てていない。現在の「新しい戦争」においては、非武装、非暴力では解決できない場合もあれば、武力だけでは解決できない場合もある。要は、どのような場合に平和的手段が必要で、どのような場合に暴力的手段が必要かということを功利主義的に判断することである。
旧い世代の護憲派、改憲派は今もなお国内だけで通用する内向きの不毛の論争を延々と続けている。新聞には70歳代、80歳台の老人達が一方で戦争の悲惨さを語り、一方で軍人の英雄譚を語っている。どちらも懐旧譚に耽っているだけだ。思想のガラパゴス化どころか認知症化だ。こうした閉塞状況を打ち破るために憲法9条部隊による平和憲法の実践が必要なのだ。
アメリカでは志願公務員からなる民間遠征労働部隊(CEW:Civilian Expeditionary Workforce)という部隊が編成され、アフガニスタンに派遣されている。彼らは米軍の保護を受けながらアフガニスタンでの民生支援にあたっている。他方、「憲法9条部隊」は一切の軍隊の保護を受けずに紛争地で民生支援を実施するのである。隊員は自衛隊員以上に身命を賭して任務に遂行しなければならない。だからこそ隊員はハト派からは憲法9条の使徒として称揚され、他方タカ派からは一生報国の英雄として称賛されるだろう。
きたれ、中高年同志諸君!介護や年金に頭を悩ましている場合ではない。

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